提言(反論、批判大歓迎)
     
「あ・は・き法」との軋轢に埋没し、既得権益を失うな!!(その1)



       最近各地で摘発の続く療術業界。
       従来は風俗営業との絡みがその大多数を占めていたが、最今では「あはき法」との抵触関連が増大している。
       その筆頭に上げられるのが「あはき」施術者からの業権侵害との訴えに対する主として行政の対応なのだが、
     昭和35年の最高裁判決以来沈静化して来たの如く思われていた業権を巡る両者の抗争が、此処に来て再発し
     始めたのにはそれなりの事由がある。
       あらゆる批判を承知で記述するが、其の最たるものは昨今の世界的不況に起因する「あはき」受療者数の激減
     と、其の不況の中に何とか活路(収入)を見出さんとする脱サラ (失業者?) 転向組みを含む、無資格療術業者の
     無茶苦茶な施術姿勢との葛藤だ。
       所謂「あはき」と呼ばれる有資格者の業権は、国家から其の施術範囲を厳しく限定された所に成立している。
       即ちこの限定範囲の厳守を教育され、当該試験に合格し晴れて「あはき」で御座いますと標榜出来る。
       此の 「標榜」 は本来の字義とは違うが、「あはき連」の言い分は本来の字義に共通する主義、主張の部分を包
     含している。
       所が無資格療術業者の方には、標榜すべき資格が無い代りに範囲の限定も無い。敢て範囲を定めるならば 「
     人の身体生命に害を及ぼさない限り云々」 と言う最高裁の差し戻し判決しか存しないのである。そして、当該判決
     から約半世紀の今日、尚其の判決の範中だけで無資格療術業者は生存している 。そして「医師法」や「あはき法」
     の網を潜り抜けたり引っ掛ったりし乍、有資格「あはき」と類似した(少なく共素人である被施術者(患者)には区別
     の付け難い)療法を展開し糊口以上のものを凌いでいるのだ。
       此処迄読み進み、貴方にはピンと来ただろうか。有資格と無資格、更には療術師は無資格なのかとの驚きの念
     を持った諸兄も多いのではないか。
       事実、総務省の編集発行に関る「日本標準産業分類」中には「療術」が存在する。そして其の療術は「あはき」に
     「柔道整復(骨つぎ)」を加えた「有資格療術業」と「その他の療術業」に分類され、後者は無資格での行為者である
     事を示唆している。即ち「療術」に分類される業種には、有資格と無資格が法的には別として現実に存在し、両者が
     共存の形を取っていると言う訳だ 。そして此の療術業全般の事を医業類似行為と言い、一説に依れば無資格療術
     業者の方が身入り(収入)が良いと言う。
       此れが如何に矛盾に満ちた話かと言うと、例えば車の運転者に免許所有者と無免許者が混在し、「人の身体生
     命に害を及ぼさない限り」運転しても摘発されないとしたらどうか 。巷には無謀運転が溢れ 、社会秩序は根底から
     揺らぐ事と成るだろう。
       所が事「療術」については其処が治外法権 。最高裁差し戻し判決の上澄み部分、今様で言うなら 「いい所取り」
     の我田引水。摘発後の立証責任が司直側に回されたのを奇貨として、無資格施術天国が招来される 。そして行政
     も司直も無資格療術業者の我田引水の矛盾解釈を摘発困難の事由として看過し続けた。
       今日の複合的捻れ構造は此の如く定着し、バブル期を頂点として無資格療術集団はメタボリックに肥大して行く。
     そして世界的大不況に至り、業者は粛正の秋を迎えたのである。丁度昭和22年当事にタイム・スリップしたが如く。
       昭和5年、昭和22年 。療術関係者でこの重要な年代を正確に記憶されている方がどの位有るだろうか。共に今
     日の療術二重構造の原点的な意味を有する年で、昭和5年は東京警視庁に依る 「療術行為取締規則」 が11月5
     日に公布され、翌12月5日から施行された療術誕生の年。因みに「療術」との名称は此の時初めて使用され、其の
     名付親は東京警視庁。同施行に依って療術は届け出が義務とされ、それが粗全国に普及、療術師は「 あはき法 」
     達の下位に社会的地位と認知を得た。昭和22年12月31日はその療術が禁止された日である。(以下続く)