「東京芸大バイオリン事件30年目の真実!」
〜其の七〜





                                 天井 美宏とクラシック・ブレーンズ
                                (あまのい よしひろ)

「偽楽器、音の偽造法と銘器の定義」“洋楽後進国の成長期の一情景”

  東日本大震災の影響で、筆者達の居住する一帯も災害地域に指定され、余震等も有っ
て、原稿が予定通りに進行していない事を御詫び申し上げる。・・・と、まあ此れは一部真実
の表向き釈明。配信遅れの原因は、本記事に対する陰湿な圧力を受け、筆者達は此の事
件が、少なくとも桐朋学園大学を筆頭とする、事件発生当時の新興音楽業界エリアでは、
未だに生臭い状態で蓋をされている事実を痛感し 、今後の展開戦略を再検討する必要に
迫られている故だ 。そして其処に垣間見えるのは 、罪(事件)の咎を一人(一部)にお仕着
せ 、己らは頬被りの儘に善人(被害者)を装う 、低俗互助会としての其の閉鎖的音楽業界
体質である。
  我が日本国は世界に名だたる法治国家の筈。即ち、仮に刑事事件で有罪と成ろうとも、
国家の定めた(課した)刑期(制裁)を終えれば 、民事上の案件は別として、刑法上の罪は
償った物と看做される。社会的責任並びに社会復帰も同様で、罪を憎んで人を憎まず・・・。
其の社会的更生を扶助する事は、日本国憲法の精神の具現でもあろう。「人間は誰しも間
違いを犯す可能性が有る」との前提と、それ故に更生の機会を与える冪であるとの基本的
な考え方だ。けれども其の更生への扶助は 、何人にも公正に行われなくては成らない。社
会的地位や知名度故に、其の恩恵を有利に受ける者が居る等は以ての外の話だ。
  所が前述した如く、臭いものに蓋、其の中味に一方的に責任を被せ、蓋の下に呻吟する
声を抹殺する所業が 、今尚罷り通っている 。其れ故に此のバイオリン事件は30年間燻ぶ
り続けて来たのだ。
  事件発生当時から現在迄を俯瞰し、今、筆者達が明らかしておく責務を感ずるのは 、此
の業界体質故に歪んだ儘放置されざるを得なかった 、この事件の本質と真実であり、其れ
は独自の調査を履行せず、「東京地検特捜部」 の垂れ流し情報を錦旗の如く振り翳し 、本
質と真実を業界 ・ 財界と手を携えるが如く隠蔽した、当時の一流マスコミへの憤りと指弾で
ある。
  其の為に此処まで、番外編等と称して当時の半裏業界の真実を書いて来た。間も無く事
件で使われた偽鑑定書の成立も明らかに成るだろう。そして本事件が、新興勢力に依る、
別の新興勢力潰しの暴力的側面を持つ特殊事件であった事も、白日の下に曝される筈だ。
  取材の中で、筆者達は当時の東京藝術大学と桐朋学園の憮然とすべき抗争を知った。
更に我が国のオーケストラ育ての親、故「近衛秀麿」に対する、桐朋学園、故「斉藤秀雄」
軍団の抗争も認識せざるを得ぬ事と成った。そして本事件の主犯と位置付けられ 、逮捕者
3名の中で唯一人服役した男が 、個人の意思とは関わり無く斉藤軍団に属する立場にあり、
しかも芸術上の信念から近衛の内弟子と成って居た事実を知り 、 更に其の男が自己のオ
ーケストラを若くして組織 、日本の音楽界の真の発展の為には 、反目しあって居た芸大と
桐朋の融合が不可欠と考え、両校の優れたメンバーを共に参加させる等の方法を講じ、其
れを実行していた事 。所が其れが斉藤軍団の逆鱗に触れ、事件への伏線と成った事実等
も物証と証言に因って認知させられる事と成った。
  基より異論も有るだろうが 、事件の主犯男と其の楽団の残した当時の録音を聴くと 、其
の頃、斉藤桐朋軍団が洋楽維新と位置づけ 、基礎的教育に基づく合奏力の強化に取り組
んでいた努力の上を行く 、音楽性の萌芽が聴き取れる。其れは誤解を承知で言うならば、
フルトヴェングラーを主観的と見下して故意に排し 、トスカニーニの客観的 (筆者達には異
論が有るが) とされる統率的合奏賛美が主流と成っていた、当時の音楽界に対決する、理
論的主観性に根ざす演奏の「漸進的復活」とも評し得るものである 。尤も、この辺りは百聞
は一見にしかずとしか、言い様が無いのだが・・・・・・。
  保守本流を自認する東京藝術大学音楽学部 。 確かに其の自認は正しい点も幾多有る
のだが、其れを圧倒的技術力(演奏技術)の差を以って迫撃し始めた、斉藤軍団の桐朋学
園。 コンクール等に於ける両者の争いは、今日では信じられぬ程、熾烈且つ偏狭なものだ
った。事実或る時期のコンクールでは 、桐朋勢力が入賞を総なめにした事も有ったし 、芸
大の面子を掛けての裏工作が囁かれた事も一度では無い 。 其の為の票の取り纏めに奔
走した「お偉い」先生方の話は随所に有るし 、此のバイオリン事件で東京芸大の山野教授
(仮名)が逮捕・起訴される伏線と成った一つが 、少し前の音楽コンクールに於ける山野教
授の 、芸大と教授の威信・威光を駆使・悪用した審査結果に対する 、バイオリン事件主犯
男の意趣返しだったとも言われているのだ 。当時の東京地検特捜部の検事で 、主犯男の
取調べを担当したK氏は 、人伝によると 「 教授逮捕のアイデアはあの男(主犯)からだよ。
拳の下ろし所で困っていた時 、あいつが取引材料として言い出した 。お陰で何とか面子が
保てた。」と回想しているという。
  今でこそNHK交響楽団には首席奏者クラスを始めとして、桐朋メンバーが数多く在籍し、
同交響楽団の演奏(合奏力)を世界に伍する物としている。しかし此のバイオリン事件の少
し前までは、桐朋の俊英がN響に入り、況して主要メンバーに成る事など、想像すら出来ぬ
事だった。桐朋の俊英は海外に出るか、民間の交響楽団に入るかの道が、止む無き主流・
選択だった。
  其の原因を当時のN響理事長、故「有馬大五郎」氏(国立音楽大学学長・当時)と桐朋学
園「斉藤軍団」の軋轢に求める向きも有るようだが、根は更に深いようだ。其の辺りの事は
何れ細述するが 、有馬理事長が交代後のN響には 、桐朋からの入団が相次ぎ、結果とし
て実力の大幅な向上が齎されているいるのも事実である。
  桐朋の秀英の集合が奇跡的合奏力を生み出し、世界的に評価されるのは最近では 「サ
イトウ記念オーケストラ」や「水戸室内管弦楽団」に例を求めるまでも無いだろう 。尤も其の
源流が、斎藤秀雄教授率いる「桐朋学園弦楽オーケストラ」に在る事を知らない向きも今で
は多いだろうが 、其の時代先取りの「斎藤メソード」の限界も同時に其処には包含されてい
る。しかし其れが偉大な時代・業績で有り 、奇跡的成果を上げていた事だけは間違いの無
い所である。
  そして其の時代を次の時代に繋ぐ端境期の象徴的事件の一つが、此の「バイオリン事件」
なのだ・・・・・・。銘器の定義は次回の心だ。(続く)