提言(反論、批判大歓迎)
「あ・は・き法」との軋轢に埋没し、既得権益を失うな!!(その5)
最高裁判決(差戻し審)の申し子「学校屋」。この意味を即解出来る御仁は、仲々の療術の強者である。
判決は「有害の恐れが無ければ」と規定した 。此は単に立証責任の転換の意に過ぎぬものだったのだが、
一般には「やっても良い」と短兵急に曲解され、又或る意図の下にさせられた。
更に本来有害性の立証を丹念に行い 、違法を摘発する立場の司直も行政も 、労多く功少なしの案件に付
いては、極めて消極的となって行った 。その結果が現在の混乱業界を惹起せしめた事は前述したが、一方で
「判決の曲解」と「摘発の手抜」は、目敏い学校屋達に取っては恰好の稼ぎ所となった。
一 人の有資格者の下に複数の無資格者を貼り付ける荒稼ぎの手口は既に御紹介したが 、 学校屋達は更
に巧妙な手法を用いる 。即ち、一人或いは複数の有資格者 (届出療術業者) が、自己の行ってきた所の、最
高裁差し戻し判決にも合致(?)する 「安全療法」 を組織的に教え開業させ、開業後も安全営業が出来る様指
導する(有料で!)というパターンである。
其の為に学校屋達は本領を発揮し、「療術学院」や 「整体学院」等々の、恰も学校であるかの如き名称を冠
した私塾を創出する。「学校」 では無く 「学院」 なのは 、法人格も行政認可も有さないと言う証在なのだが、功
名を目し、或いは一攫千金を夢見る輩にはそんな事はどうでも良いらしく……無知の証とも取れるが……学院
の大先生を頼って習いに来た。
其の学院の教室では、昭和50年頃迄は「療術師」として届出ていた所の、一般に 「既得権者」と呼ばれる人
々が「先生」として教え、自己の確立した施術(治療)方を伝授(?)した。そしてそれに併せて学校屋達は基礎
医学と関連法規の講座を仕立てる。即ち「当学院で教えるのは、他でやっているやっている様な技術伝授だけ
ではありません 。生徒の皆さんが正確な医療知識と法令の理解の下、有効無害な療術で身を立て、社会から
尊敬される存在となって頂ける様云々」との大義名分掲げ、其の庇護的存在として、学院と学院の教師を位置
付けたのである。
様々な議論はさて置き、療術或いは民間療法の有効性は現実に存在する。難病の治癒例等は医師の認知
が得られないだけで無数に存在するし 、各種の痛みなどに対する著効性も 、数多くの受療者が其れを証明す
る。保険もきかず、一流の学歴等とは無縁を売り物にしていた節すら存する療術業界が現在も存在するのは 、
其の実効性故に他ならない。そして其の実効性を拳中にする事は、決して困難な事では無いのである。
例えばカイロプラクティック 。一般的には脊相骨を人為的に微妙に動かして 、神経圧迫を取り、疾病を寛解
に導く施術法である。良く整体と混同されるが、其の根底理論は全く違う。
その差異は後程述べるが 、脊相骨を人為的に動かす作業は力学の領域である。即ちどの脊相骨に動かす
必要が生じているかさえ判断出来れば、後は力学の法則に則って必要な力を、必要な方向にかければ良い。
言ってしまえば極めて簡単な話であり、問題は其の見付け方と、安全無害な動かし方の習得のみだ。そして其
の見方も動かし方も、直感力に長けた人に取っては造作も無い範疇の事案である。
所が医学会では骨が微妙にズレる 、と言う現実を否定する 。従ってズレる筈の無い脊相骨を人為的圧力を
かけ、微妙に動かして神経圧迫を寛解させる言う原理 (理論) は通用しない。医師からすれば、微妙に動かす
事等、効果無く危険の多い 「素人療法」 と言う事になってしまう。カイロプラクティックが理論的にも実効性の上
でも、そして安全性の観点からも、医師と同等と言って良い資格が認められている米国他の先例が存在しても、
日本の医師達は認めない 。自分達の中にはカイロプラクティックによって、確実に良くなった医師が居ても、彼
等は表面上自分達の業績死守の為に其れを認めないのである。(以下続く)
