天井 美宏
(あまのい よしひろ)
「偽装鑑定書の成立事情」の弐
洋楽のメッカ東京芸術大学の大教授でも、当時バイオリン等弦楽器の真贋を鑑定出
切る人材は殆ど居なかった。敢えて殆どと記したが、実態は「皆無」だと言うべきで 、其
れが30年前の洋楽界所謂クラシック業界の内情だったのだ。
其の解らない連中が、大御所として国立の音楽大学他で教え、隠然たる影響力を保
持・行使 、更には楽器の良否迄をもアマチュアに毛の生えた程度の知識と語学力と耳
(?) で、素人判断(無根拠鑑定)していた。そして其の判断に生徒も従わざるを得なか
ったのである。先生の御機嫌を損じない、唯それだけの為に。
即ち生徒の楽器選定特権は、師事する先生が独占し、高い率の上前を撥ねていた。
此の辺り 、旧態依然の封建的徒弟関係とでも言う以外は無いが、此の図式中にも、リ
ベート商法の楽器屋が介在する余地が充分に残されていた 。此の楽器屋連中が錦旗
の如く掲げたのが、前述したヒル商会の名を騙った「偽造鑑定書」だったのだ。
当時、此のリベート楽器屋を個人的に営み、自らも在京オーケストラ (交響楽団) の
団員だった江入俊(仮名)は言う。
「 僕がターゲットにしたバイオリンの先生は、殆どが中堅所の人達で、経済的には決
して豊かでは無かった 。NHK交響楽団 (N響) を除き、オケの給料は10万(円)ちょっ
と。でも音楽への情熱は凄かった 。技術力は別としてね 。其の連中が伴奏者兼務でピ
アノ科の娘さんを嫁さんにする。そして家で 「おピアノ」 を近所の子供に教えさせて 、何
とか食ってる。
そんな中でバイオリン1丁生徒に売れば30万 (円) 位は入る、しかも裏金として。先
生が使っているバイオリンは 50万円から 80万円位が普通 、所が此の頃から生徒は
100万円以上のバイオリンを親から持たされているのも珍しく無かった。(中略)やり方
は、A と言う一流製作者のラベルの入った 、実態は全く別の無名の製作者の作った古
いバイオリンの生徒への斡旋を、馴染の先生に頼む。仕入れは仮に50万としておきま
す。
『先生、このバイオリン 200万で世話して頂けたら80万位はお礼できますが』。する
と早速先生は適当な生徒にレッスン後、『 君も上手になったね。だけども此れからは此
の楽器じゃ上手くならない 。もっと君の音楽性が表現できるバイオリンを探しなさい 』。
等と勿体を付けていいます。すると必ず付き添ってきた親が『もっと此の子を伸ばして、
世界に出したい。先生、此の子に合った楽器を紹介して頂けませんか』 。先生はほくそ
笑んで私を呼ぶ。『 江入さん、此の彼に合った音の良いバイオリンはありませんか。楽
団員の耳の良い所で・・・』。
こうなれば、もう商談は半分成立。2週間位間を置いて、先生と生徒親子の所に楽器
を持参。其の時には、此の楽器、素人の耳に良く聴こえるように音を調整してあります。
こんな調整は簡単なんです。びっくりするでしょうが。
余計な話で横道に逸れるけど、芸大バイオリン事件で捕まった紙田祐甲の店は其れ
がやたらと上手かった。それ以上に紙田と一緒にパクられた指揮者の小村孝一なんか
は、其の調整を音響学的に分析して 、所謂銘器の波形と物理的に比較 、楽器の板の
厚みのバランスを測定し、無名の安バイオリンを当時日本で名を馳せた楽器修理調整
の名手笠山貞夫(仮名)に命じて分解させ、厚みのバランス等を銘器並みのバランスに
調整させた。すると信じられないような音になるんです 。そして補修用のニスを上手く塗
ると、見掛けも音も出来の良くない銘器になる 。後は偽ラベルを貼って、更に私の所の
偽鑑定書を付ける。すると、例えば紙田の所の補修用ジャンク・バイオリン (3万円位)
が、簡単に300万位には化けちゃう。
尤も小村の名誉の為に言いますが 、小村は其の商売は絶対にしなかった 。彼の趣
味は其の偽銘器を 、芸大や母校桐朋学園等の有名な先生に弾かせること 、其れを録
音して銘器と比較し更に改良、そして有名な先生達が真贋を見抜けないを喜んだ。そん
な男でした。
さて先生は私が持参した楽器を生徒に弾かせ誉める。生徒も親も此の楽器を買いた
いと言う 。其処で先生の一言 『 江入さん 、流石に貴方の目は高い。こんないい楽器が
200万円?。 普通は倍はしますよ。でも大事な生徒に持たせるのに 、万一偽者だと困
る。鑑定書は無いんですか』。そこで空かさず 『鑑定書はヒルが付いています。ただヒル
の方で販売が決まらないと渡してくれないのです』
此れで商談成立。半金程度を受け取って、イギリスからだから3週間くらいかかる。と
親に伝え、私は此の楽器に合った偽鑑定書の作成を関西の裏業者に頼むのです。そし
て先生は80万円以上を手に入れる」。
引用が長くなったが、此の江入俊の告白を聞いてゾッとした向きは多い筈。 此処での
偽鑑定書は、商談成立の決め手であり 、先生の責任回避の手段だった。 そして偽で有
ろうと無かろうと 、鑑定書付きのバイオリンを持っていると言うだけで 、生徒は自慢だっ
た。親も又然りである。
所が、やがて 「ヒルは怪しい」 との情報が流れる。日本製の紙に印刷した偽鑑定書が
遂に馬脚を現す。そこで業界はもっと精巧な偽鑑定書を目指し始めるのだ。それは紙田
と小村が接触を強めた時期である。そして更に別な需要が。 (続く)
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