天井 美宏
(あまのい よしひろ)
「偽装鑑定書の成立事情」の参の番外編T
前回引用したオマケン江入俊の告白。信じられないだろうが大筋事実である。違うとす
ればリベートのパーセンテージ位と言っても良いだろう。音大の偉い先生方等は、殆どの
向きが身に覚えの有る筈。そして此の如き取引の中で常に重要視されていたのが、真贋
取り混ぜた鑑定書である 。即ち其の正否を問わず 、鑑定書は楽器を購入した生徒や親
にとってはステータスな付属勲章であり 、仲介した大先生方に取っては万一真贋問題が
起きた時の隠れ蓑、そして楽器屋に取っては商談成立の切り札だった。
リベートを懐にして御満悦の件の大先生は、「 此の楽器は、僕が教えた通りに正しく弾
き込むと凄い音になるよ。君の努力次第だ。次はこれに合った弓だね」 ・・・。 此のセリフ
は、楽器の限界を見極めた大先生の 、巧妙な逃げの一つであり 、更に次の商売の足掛
りだ。暫く経つとオマケン(業者)は、楽器に合ったと称する弓を持って来るだろう。其れに
もチャンと立派な偽鑑定書が添付されている。
所が悪業は何時までもは続かない。やがて「あいつ等のヒルの鑑定書、あれは怪しい」
との情報が流れる 。前述した事だが 、日本製の紙に印刷した偽造英国製鑑定書が馬脚
を現し(此の摘発の中心と成ったのが小村孝一だったが)、楽器を本物と生徒に断言した
大先生は面目丸潰れで至極御立腹。其の詰め腹を切らされた形で、オマケンは売値で楽
器を買い戻す羽目となる 。しかし先生のリベートは其の儘で 、基より楽器屋には帰ってこ
ない。泣きっ面に蜂の件のオマケンを知る向きも多い筈だ。
業界が此処で正道に立ち戻れば問題が無かったのだろうが、懲りない楽器業界の面々
は 、次の手段として更に精巧な偽鑑定書作成を目し始める 。そして其れは紙田祐甲と小
村孝一が、楽器屋と顧客の一線を越えた接触を強めた時期であり、其の接触がやがて芸
大事件を引き起こす中核と成るのだが 、其の前にもう一つの伏線に触れて置かなければ
成らない 。諸兄には本筋を離れた戯言と映ずるかも知れぬが 、先ずは番外編としてご勘
弁願いたい 。其れは江入俊等オマケンが所属するオーケストラ 、即ち交響楽団の深刻な
弦楽器の品質問題で、偽造鑑定書とも迂回した因果関係にある事実だ。
今でこそ我が国の交響楽団の水準も 、 其の一部は贔屓の引き倒しでは無い程度の国
際水準に達しているが、この時代 (略昭和50年代頃)、国際的に辛うじて通用したのは日
本放送協会(NHK)専属(付属)のNHK交響楽団(N響)唯一つ 。其れ以外は音楽評論家
共から十派一絡げと言われた物だ ( 日フィル、読響、東響、都響、東フィル他の当時の楽
員さんゴメンナサイ)。
基より当時のN響が、例えば同時代のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団やヴィーン・
フィルハーモニー管弦楽団 、若しくはフィラデルフィア管弦楽団のレベルに在った訳では無
い。其処には歴然とした技術力の差と音楽性(抽象的表現だが)の格差が存したのだが、
音楽性の点は別として、トータルな音響としての最大の違いは音の輝き 、或いは響の芳醇
さだった。其の格差は、例えとして決して最適では無いが、上質の美術印刷と新聞のカラー
印刷程の落差だったのだ 。そして其の落差が単に技術力のみに起因しない所に、交響楽
団関係者のジレンマが有った。前回の江入俊の独白に待つまでも無く、当時のオマケンの
所有する楽器 (バイオリン等弦楽器)の質は、今ではアマチュアの大学オーケストラでも使
わない程度の 、所謂 「安楽器」 だった 。金も無いし 、楽器そのものも碌に入ってこない時
代。稀に入ったとしても異常に高価で、到底オマケンの安月給では手が出なかった。
「 音の違いは楽器の違い 、楽器の質の違いだ 」。 此れは当時ごく普通にオマケンから
聞かされた言葉である。実際は腕も随分と違ったのだが、確かに楽器の差は歴然としてい
た。批判を承知で記するならば、欧米と日本の交響楽団の弦楽器 (バイオリン、ビオラ、チ
ェロ、コントラバス)の価格の総合比は、欧米の一流楽団が日本の楽団にゼロ一つ半以上
の格差を付けていた。即ち、日本の楽団の全弦楽器の総合価格が1千万円とするならば、
欧米の一流楽団の其れはざっと見積もっても一億円以上、と言うことで、如何に「弘法筆を
選ばず」 とツッパッテみた所で所詮喧嘩に成らない 。仮に腕前が同等で有っても、楽器の
差だけは如何ともし難いのである。
其の点を何よりも理解していたのは他ならぬオマケン。彼等は心底良質な楽器を求めて
いた。西欧に行けば良い楽器が手に入る 。或いは東欧ならもっと安い 。オマケンのみで無
く、其の予備軍の音楽学校の学生・生徒も其れを信じ、外国からの楽器持込を画策した。
日本で楽器が高価と成ってしまうのには理由がある 。第一は日本の輸入楽器商が国際
的信用や評価を得ていなかった為に 、 欧米の一流の楽器商からの直接買い付けが出来
ず、二次店、三次店、若しくは三次店の下請けからの購入しか出来なかった事。そして輸入
関税がたっぷりと掛けられる事 。此れだけで国内の末端価格は急騰する 。ロンドンのオー
クションで、500万円で競り落とされたバイオリンの国内販売価格が2000万円と成った実
例も有る 。彼等が直接買い付けに躍起になったのも当然であった 。其の手練手管の構築
が、必然として偽造鑑定書を希求する事となるが、其れは番外編の2で明らかにしよう。
(続く)
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