「東京芸大バイオリン事件30年目の真実!」
〜其の伍〜





                                               天井 美宏
                                         (あまのい よしひろ)

「偽装鑑定書の成立事情」の参の番外編U「外国物品持ち出し表」

  当時の日本で、主にオールドの弦楽器が高価と成ってしまう理由の第一は、日本の輸
入楽器商が欧米の一流の楽器商からの直接買い付けが出来ず、二次店、三次店、若し
くは三次店の下請けからの仕入れしか出来なかった事 。そして輸入関税がたっぷりと掛
けられた事だ 。音楽家ユニオン有志は関税撤廃を数次に渡り政権政党宛請願したが 、
裏金無しでは見向きもされず、窮鼠猫を噛むの例えの如く、奏者達は違法?な直接買い
付けに躍起となった 。その手練手管の構築が 、結果的に偽造鑑定書を生む一因と成る
が、其の成立過程に於ける重要なステップが 「外国物品持ち出し表」 を利用した所謂密
輸行為だった。
  「外国物品持ち出し表」は、海外に出た経験の有る向きには御馴染の書類。日本を出
国する時に、例えばローレックスの腕時計等を身に付け 、此の「持ち出し表」に記入して
税関の承認印を得ずに出国すると 、帰国の際に税関から海外で購入した物品と見做さ
れ輸入関税が掛けられる 。其れを回避する為 、国内で既に所有していた物品で有る事
を証明するのが件の「持ち出し表」で、現在では此の手口は通用しないが、当時は巧く悪
用すると密輸の小道具としても機能した。
  此の「持ち出し表」悪用?以前の関税回避術の一例は、ダブル・ケースと呼ばれるバイ
オリンが2丁収納できるケースに1丁を入れ、演奏旅行或いは勉学等と称し海外に持ち出
し、海外で手に入れた楽器と共に、知らぬ顔をして持ち帰る。昔の税関は鷹揚で、音楽家
が楽器を持って出入国する事には余り神経質では無かった 。オーケストラの海外遠征時
等は其れが更に顕著だったと伝聞するが 、税関員も「親心で通してくれた」と当時の楽員
は回想する。
  しかし何時までも親心を続ける訳にも行かなかった様で、税関も次第に神経質になる。
「持ち出し表」に記入無しの楽器持込が難しく成って来たのだ。
  其処で次の手として登場するのが、廃品同様なバイオリンを例えば「ドイツ製バイオリン
」 と申告し、海外で名品と入れ替えて持ち帰れば税関はフリーパスと成る手口。此の手法
も一時可なりの成果?を上げるが 、やがて税関職員が銘柄を確認する様になり、次第に
難しくなる。何しろバイオリン等にはエフ字孔と呼ばれる穴が開いていて 、其処から覗くと
製作者の名前や製造年を記したラベルが張ってあり、銘柄等が一応一目瞭然なのだ。税
関職員は当該ラベルの内容を申告させる様になる。こうなると違法持ち込みに際しては、
出入り楽器の同一性が課題となり 、俗に言えば密輸予定の楽器と同じラベルの楽器を申
告して持ち出さねば成らない。昭和40年代頃の話だ。
  そして此処で密造されたのが偽ラベル。 即ち、関税を逃れて持ち込もうとする楽器に合
わせて偽造した偽ラベルで、実に様々な手法で製作された。
  この点を細述し過ぎて教唆に問われても拙いので控えるが、其の手法中には骨董屋の
用いる贋造技術迄が援用されている。
  「偽ラベル。当時の関係者は皆知っていますよ。紙田の所なんか其れが巧かった。尤も
あいつの所は安楽器を売る手段の一つとして出発しましたが…」と馬場某は回想する。此
の馬場他の楽器製造修理関係者数名の話を総合すると、 一番簡単な偽造手口は、海外
で出版されていたバイオリン名鑑等の書籍に、凡例として掲載されていたラベルの写真を
普通紙にコピーし 、年号等に手を加え紅茶等に浸して着色し 、年代物のラベルに見せ掛
け安バイオリンに貼り付けるものだ。此れは単純な方法だが、浸す薬品等を巧く調合する
と簡単に出来、中に貼り付けてしまえば直接触る事も出来ないので、偽造はバレ難い。同
様に楽器の内部にも紅茶や薬品等で着色、オールドな風合いを出す手口も併用された。
此の辺りは2流骨董屋の十八番で、逆に目利き筋には通用し難かった。
  又、一部では凡例写真を写真撮影して製版印刷に掛けると言う、多少手の込んだ偽造
もあり、一部には印刷する紙も古いものを使った例も有る。更にラベルには手描きの物も
あり、例えば馬場某等は偽サインの練習に躍起になっていた、と同僚の瀬川一光は言う。
  「その意味で偽ラベル作成を研究していたのは小村孝一です。」と語るのは小村の弟子
で、マネージャーも兼務していた中西康男(仮名)だ 。中西は小村の下で音楽理論等を学
び、音楽大学に進んだ人物で、当時の小村の裏面迄をも最も良く知っていた存在である。
  中西は言う 「小村は何にでも興味を持ち 、物理的思考を加えるのが特徴で、世の中の
善悪などには無頓着で 、実質主義 。安バイオリンを加工して高級な音に仕上げる為の研
究や実践は凄い迫力を感じました 。現実に小村が、紙田祐甲の店に補修用として積んで
ある、謂わばジャンク品の半分壊れたバイオリンを目利きし、当時東京の渋谷に居た笠山
貞夫と共同で改造して再生し、イタリアの銘器の偽ラベルを入れ、桐朋学園の講師も勤め
ていたバイオリニストに奏かせた録音が存在しますが、音は銘器そのもの 。裏さえ知らな
ければ先ず気付かない所です。実際に其の音を賞賛した評論家も居る位ですから 。其の
小村の技術に云わば惚れ、商売に使おうと接触して行ったのが紙田です。丁度昭和52〜
3年頃の事ですよ。其の頃は私も小村のお供で、頻繁に紙田の店に行きました。小村も紙
田も酒と女性が好きで、閉口した事も少なくない。その次に出て来たのが巧妙な偽鑑定書
でした。印刷を請け負ったのは私の知人のデザイナー錠征三(仮名)です。」(続く)